2017年8月8日火曜日

陳登

中国の三国志に実在した隠れた天才・陳登(ちんとう)。


当然ながら相当昔なため、実物の写真や人物像すら残ってませんね。



劉備には「天下の名士」と呼ばれ、曹操には「彼の予見力は優秀」と、時代に名を遺した人物から賞賛されています。



陳登は文武両道、誠実であり思慮深く、老人を労わり、孤児を養育、常に民を思いやるなど、まさにパーフェクト人間と言っていいかもしれません。



そんな彼ですが、39歳でこの世を去ったと言われています。

原因は魚の生食。寄生虫が進行してしまい、病死。



天才がこのような終わり方で短命で亡くなるとは・・・('ω'`;)

昔の人物は生きたくとも、些細なことから亡くなってしまうことが多いですね。


2017年8月5日土曜日

セルゲイ・アナトレビチ・プレミーニン

ロシア連邦英雄の一人、原子力潜水艦で命をかけて任務を遂行した男。

セルゲイ・アナトレビチ・プレミーニン(1965年10月18日~1986年10月3日)

ソビエト連邦の軍人、セルゲイ・アナトレビチ・プレミーニン。


1986年10月3日、原子力潜水艦で積んでいるミサイルが爆発してしまう。

しかし、爆発の影響で制御装置が故障、更には原子炉がメルトダウン(核燃料が融解)寸前になり、誰かが原子炉内に入って作業しなければならない状況に。

原子炉担当士官のニコライ・ベリコフと部下のセルゲイ・プレミーニンは、制御するために原子炉内へ。


事故により原子炉内は約70℃という高温であり、強いガンマ線と中性子放射線も放たれています。

これほど大惨事の事故は想定していない防護服なため、当然入ったら最後を覚悟しなければなりません。


制御棒で原子炉を停止させる作業の途中、士官のニコライ・ベリコフは高温の作業中に意識を失い、最後までの作業をセルゲイ・プレミーニン一人で行います。


メルトダウンの危機を回避し、任務を遂行したセルゲイ・プレミーニンですが、原子炉から脱出しようとした際に、原子炉内外の圧力差のため扉が開かず、そこで息絶えます。


彼らが命を引きかえなければ船員の命は守れず、海の大規模な汚染も起きてしまう事態でした。



20歳にして、人生最後の日となる場所へ向かわなければならない気持ちは・・・恐らく、最後になるとは考えず、この状況を何とかしたい一心だったんではないかと自分は思います。

 

2017年8月4日金曜日

レフ・トロツキー

「裏切られた革命」の著作であるレフ・トロツキー。政治の革命に人生を捧げた男。

1879年11月7日~1940年8月21日(満60歳没)

政治に絡むと、それだけ人生は複雑になる気がします。

そんなことを思わせてくれるのが、レフ・トロツキー。


ロシア十月革命における指導者の1人であり、ソ連共産党政治局員でもありました。

政策を巡って様々な対立を起こした彼ですが、敗れてしまい生まれの国から国外追放をされてしまいます。



パッと見で言うと失礼な言い方ですが、何だか狂気を感じる人物です。

レフ・トロツキーの指導者としての話で、「戦闘中に逃げた部隊の10人に一人を銃殺するよう命じた。」があります。

相手の心理に恐怖を植え付けるやり方ですね。(ㅎ-ㅎ;)


レフ・トロツキーは、国外追放をされても尚、反ソ連について活動を続けます。

命が狙われる危険があるにも関わらず、屈強な精神力。

政治に人生を捧げてますね・・・!



今の時代とは違い、昔の反対派である以上、ただではすみません。

粛清対象として、息子であるレフ・セドフは留学中に暗殺されてしまい、それに警戒したレフ・トロツキーは強固な家に隠居します。

窓には鉄格子、分厚い鉄の扉。

しかし、スターリンが手配した暗殺者により、ピッケルで後頭部を打ち砕かれて生涯を終えます。



息子が暗殺されて、自身も暗殺されてしまうのは悲劇の終わり方ですね。

昔の政治というのは、改革をするなら命をかけてやらなければならなかったと考えさせられます。