2017年7月30日日曜日

ルイ17世・ルイ=シャルル

フランスの国王ルイ16世と、王妃マリー・アントワネットの子供です。ちなみに次男。

ルイ=シャルル(1785年3月27日~1795年6月8日(満10歳没)
写真からでは何とも優しそうな顔をしてますね。


フランス革命といえば学生時代に教科書で学んだ人が多いと思います。

ただし、教科書で主に記載されているのはルイ16世やマリー・アントワネットが中心。

教科書ではルイ17世についてはほとんど触れておらず・・・というよりも、教科書では載せられない地獄の経験をしてますね。(´・_・`)



5歳でフランス革命の渦中に巻き込まれ、6歳の頃、民衆によってタンプル塔に監禁されてしまいます。

8歳になり2ヵ月後に高熱と脇腹の痛みが出るものの、すぐに診療の許可は下りず体調を崩したままの生活が続く。

更に2ヵ月後、家族と引き離されての生活を送り、教育係の下で暮らすようになるのですが、ここからが本当の地獄の始まり。

教育係には王室の家族を否定し冒涜する言葉、わいせつな言葉を教えられ、子供ながら強制的にお酒を飲まされては脅され、暴力による虐待も日常茶飯事。

番兵たちも虐待を見るのを嫌がったという記録が残ってますね。



後にタンプル塔から家族の食堂であった部屋に移されるのですが、トイレや光がほとんど入らない部屋に押し込まれてしまい、不潔な状況下で罵倒されつつベットで一日中横になる生活。

このときルイ17世は8歳にして、ビタミンD欠乏や代謝異常により生じる骨の石灰化障害で歩けなくなってしまったんですね。


9歳になり、半年後に監禁生活は幕を閉じるのですが、もはや手遅れの状態で10歳を迎え、1795年6月8日に亡くなってしまいます。



8、9歳が経験をするようなことではないですね・・・。

家族とも会えず、地獄のような日々だったでしょう。


顔文字を使わないとあまりの悲惨な記事になります(´;д;`)



その中でルイ17世が母親思いのエピソードがあり、独房に墨で「ママ、あのね…」という書きかけの言葉と花の絵が残されたことや、散歩に出た際に見つけた花を摘み取り、花好きの母のためにと、既に母親が居ないことを知らぬルイ17世が、母の部屋の前にそっと置いたというエピソードがあります。


(´;ω;`)ブワッ

  
ルイ17世のことを知れば、自分の辛いことなんて・・・と、立ち上がれる人がいるかもしれません。

自分もその内の一人だったりします。(ง •̀_•́)ง

2017年7月29日土曜日

フィンセント・ファン・ゴッホ

誰もが名前を聞いたことがある画家ですが、その人生は挫折ばかり。
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年3月30日~1890年7月29日(満37歳没)
ファン・ゴッホといえば、有名な「ひまわり」ですね!
 
教科書にも載るほど有名ですが、その人生については知らない人が多く、たまにあるテレビ番組で壮絶な人生を知った人がいると思います。


一つの挫折が濃密すぎて全ては語れないため、簡単に一まとめ。


ー  ー

15歳 中学校を成績と家庭の経済の理由から中退

16歳 就職

19歳 失恋

22歳 仕事を解雇される

24歳 宗教関連の大学入学を志すが、叶わず断念

26歳 画家を目指し勉強する。(26歳から弟のテオドルス・ファン・ゴッホに援助して生活を送る)

27歳 結婚したい相手が現れるが、拒否されてしまう

29歳 ハーグで子持ちの娼婦と恋に落ち同棲し、子供ができる

このままではいけないと、弟のテオに説得されて一人暮らしを始めるが、耐えきれず実家に戻る

隣家の39歳に恋をするが、両家に反対されて女性は自殺してしまう


30歳 絵のモデルとして使っていた農家の娘の妊娠問題が原因でベルギーに引っ越す。

弟テオの家に居候。近所のカフェの女主人と知り合い、親密な関係となる

34歳 弟テオの家から追い出される

そこからゴーギャンという画家仲間から「耳の書き方がおかしい」と言われ、自分の耳をちぎったりし、精神病院に入院、発作で絵が一年間書けなくなるなど、希望が見えない日々を過ごします。


ついには弟のテオと口論にもなり、最終的にはピストルで自殺し、テオに看取られて亡くなったと言われています。


ー  ー


自殺か他殺かは研究者で議論がありますが、結果としては悲しい最後ですね...。

弟のテオに対し手紙で「僕の若い時代は、陰鬱で冷たく不毛だった」と送った記述もあり、父との大喧嘩や家族との問題も・・・もはや濃密すぎて書ききれないフィンセント・ファン・ゴッホの人生。

しかし、女性好きすぎますね(。-ω-)


女性関係も仕事もままならないまま生涯を終えてしまい、壮絶な人生だったと言えるでしょう。

人生の挫折に関しては、何度起きているのでしょうか( ꒪⌓꒪)


挫折というものを考えさせてくれる波乱万丈人生ですね。

2017年7月28日金曜日

細野正文

有名な映画の一つに「タイタニック」がありますが、実際のタイタニック号に一人の乗船客として日本人がいたことをご存知でしょうか?

細野 正文(ほその まさぶみ)1870年11月8日~1939年3月14日(満68歳没)

タイタニック号の沈没事故により1500人以上が亡くなった中、数少ない生還者である細野正文さん。

奇跡的に生還できたものの、他人を押しのけて13号の救援ボートに乗った誤報により、亡くなるまで卑怯者と自国でバッシングを受けることになります。
(実際に細野正文さんが乗っていたのは10号ボートであり、他人を押し退けた人物は全くの別人)

 誤報にも関わらず、帰国後は仕事である鉄道の役職も降格され、一切弁明をせず非難に耐え続け生涯を終えます。


弁明しなかった理由については憶測が幾つかありますが、生還し日本へ帰国しても地獄のような辛い日々だったことは間違いありません。



大事故の現場に居合わせて地獄のような光景を目の当たりにし、生き延びても尚辛い思いをしなければいけないのは辛すぎます。

(´・ω・`)自分には耐えられません...その時代の武士道的精神があったからこその生き様でしょうか。

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どうして自分がこんな目に・・・と、思うときがあると思います。


壮絶な人生を歩んだ先人達を知れば、辛い思いをしているのは自分だけではないと心が安らぐかもしれません。


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